幸せのレシピ

日々の細々を忘れないため日記をつけているように、【ここでいう日記とはブログではなく手記、それは絶対に人には見せられないもだし人の目を意識する日記なんて何もかけるものなどないし、そんな大味なものを残しても「日々の細々」を残すという日記本来の意味を失ってしまうから】見た小説や映画なんていうのは驚くほど記憶からなくなってしまうものなので、ここでもメモを取っていきたいと思います。

 

しかし、映画や小説に多く触れている訳でもない私の、ひどすぎる「素人」目線のメモにすぎないということを念頭に置いて欲しい。

 

 

幸せのレシピ

監督:スコット・ヒックス

主演:キャサリン・ゼタ・ジョーンズ

時間:100分くらい

 

料理と恋愛の話だと思っていたが、子供も出てきた。最高すぎる

「料理と子供が出てくる小説・映画はすべからく善(あと老人がいれば尚よし、)説」がまた強固になった。

キャサリン・ゼタ・ジョーンズ(声に出して読みたい外人の名前ノミネート)はシカゴのベルマよろしく、勝気で強い女性役で、まぁそれが少しずつほぐれていく話。ということで、作中の大半がしかめっ面をしており、特に職場、つまりシェフとして働くシーンは鬼のような顔をしている。なので、「料理と子供」という重大2要素は含まれているものの、登場する数々の料理、あんまり美味しそうじゃない。特にプライベートで姪に作ってあげた魚料理、ふつうにまっまずそ…という感じだった。

思い返してみれば、おいしそうな料理が出ててくる作品の作り手は、問題を解決する側の人間であることが多い。実世界はそんなことないと思うけど、物語的にはそうなるのかしらね。

 

あと、後半で恋愛要素が絡んでくるのだけど、これ、めちゃくちゃ興奮した。

ドキドキ…とかじゃなくて普通に「興奮」した。

おそらく30過ぎた?あたりの大人の久々の恋愛という設定だったので、お互いに「今自分たちが男女の関係を成立させるという過程でどの段階にいるのか」ということをはっきりと意識しており、それがたまらなく最高でした。

特に、主人公ケイトが「これ絶対お互い両思いだし、もう完全にその方向だよね…この段階進んだら、こうなるよな。。。進んじゃっていいのかな。。。あーでも、ちょっと理性がききませんな。。。あ〜この感じ久しぶりやな…や、でも。。。」と葛藤している一瞬のためらいに対してクマさん系ゴツメの優男のニックが「ええやん」と、いなす感じに食い気味にキスをした後の、「まっええか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と加速する様子は最高でした。

 

とにかく、クマさん系ゴツメの優男のニック(アーロン・エッカート)の「陽」の力がすご過ぎて終始安心して見ていられました。裏切りも、爆発もなかったしね。

 

 

心の安定をありがとう。

 

 

 

おすすめです。

 

終わり

 

嫉妬というもの

 

嫉妬というものがとても好きで、かつとても嫌いである。

とても好き、な前者は、私に向けられるもの。

ぎらぎらしていて、暑苦しくて汗臭くてとても、好みだ。

とても嫌い、な後者は、私が生み出すもの。

 

これは、汗に似ている。

他人が流す汗は見ていて気持ちいい。

だけれど、自分が流す汗は、自分の色々の結晶(それらはきっと“悪玉なんとか”によって構成されていそう)が毛穴から放出していると考えると、とても恥ずかしい。しかもそれが、他人への反応として、ほぼほぼコントロールできずに滴り落ちてしまっているのが、なんとも惨め。「垂れ流し」、ゾッ!そんなものを目撃されてしまった時には、ああもう完敗、と言う気持ちである。

 

カッコつけさせてください。

後生ですから。

今後の主導権を握らないで、お願いだから、私をか弱いものとして扱わないで。

本当にか弱くなってしまうので。

散々に弱らせておいて、それでいていなくなってしまわれた日には。

永遠に苦々しさを舐め続けなければならないの。

他人の幸せを願いつつも、どこかにはその度にじんとふやける部分がある。

 

自分本位で哀れな私を責めないでください。

責めるなら見捨てないで、私が嫌いになるまでは。

 

 

 

 

 

havetoの趣味

本当にしたいことをしたい

けれど

本を読まなくては

映画を見なくては

何かものを書かなくては

 

クリエイティブではない人間が

have toの気持ちから創作に自分を向ける行為は

なんて浅はかなことなんだろう

 

自分には、もう書くことはないのだろうか

「有効な時間の活用」ばかりを考えてしまう

つまらない大人になってしまったのだろうか

 

ほんのりとした絶望と、

捨てきれない希望を抱いて

三大欲求の解消に終われる日々。

 

おさるさんだなあ

 

 

 

自己紹介嫌い

自己紹介が苦手である。

自分の情報を無駄に教えたくない、と思ってしまう。

 

その情報、つまり記号だけで自分を判断されるのが嫌だから。

でも何よりも恐れているのは、

記号を記号としてみなしてもらえるような、

それを凌駕する中身、そんなものが自分にはないのではと思っているから。

 

中身がないならば、ないなりに、

あるフリをすればいいのに、

自分に中身がないことを認識することが怖くて、

それすらもできない。

 

そんなことに気がついた帰り道でした。

 

はじめに

 

自分はひどく卑俗な人間だと思います。

どうしてこのような考え方になってしまったのか、よくわからないので今一度、振り返ってみたいと思います。

ありのままを書きすぎると、傷つけてしまう人がたくさんいると思うので、そこらへんを配慮するとなかなか書き進めることは難しいですが、なんとか出せる部分を見つけていきたいです。

 

かしこ