嫉妬というもの

 

嫉妬というものがとても好きで、かつとても嫌いである。

とても好き、な前者は、私に向けられるもの。

ぎらぎらしていて、暑苦しくて汗臭くてとても、好みだ。

とても嫌い、な後者は、私が生み出すもの。

 

これは、汗に似ている。

他人が流す汗は見ていて気持ちいい。

だけれど、自分が流す汗は、自分の色々の結晶(それらはきっと“悪玉なんとか”によって構成されていそう)が毛穴から放出していると考えると、とても恥ずかしい。しかもそれが、他人への反応として、ほぼほぼコントロールできずに滴り落ちてしまっているのが、なんとも惨め。「垂れ流し」、ゾッ!そんなものを目撃されてしまった時には、ああもう完敗、と言う気持ちである。

 

カッコつけさせてください。

後生ですから。

今後の主導権を握らないで、お願いだから、私をか弱いものとして扱わないで。

本当にか弱くなってしまうので。

散々に弱らせておいて、それでいていなくなってしまわれた日には。

永遠に苦々しさを舐め続けなければならないの。

他人の幸せを願いつつも、どこかにはその度にじんとふやける部分がある。

 

自分本位で哀れな私を責めないでください。

責めるなら見捨てないで、私が嫌いになるまでは。

 

 

 

 

 

havetoの趣味

本当にしたいことをしたい

けれど

本を読まなくては

映画を見なくては

何かものを書かなくては

 

クリエイティブではない人間が

have toの気持ちから創作に自分を向ける行為は

なんて浅はかなことなんだろう

 

自分には、もう書くことはないのだろうか

「有効な時間の活用」ばかりを考えてしまう

つまらない大人になってしまったのだろうか

 

ほんのりとした絶望と、

捨てきれない希望を抱いて

三大欲求の解消に終われる日々。

 

おさるさんだなあ

 

 

 

自己紹介嫌い

自己紹介が苦手である。

自分の情報を無駄に教えたくない、と思ってしまう。

 

その情報、つまり記号だけで自分を判断されるのが嫌だから。

でも何よりも恐れているのは、

記号を記号としてみなしてもらえるような、

それを凌駕する中身、そんなものが自分にはないのではと思っているから。

 

中身がないならば、ないなりに、

あるフリをすればいいのに、

自分に中身がないことを認識することが怖くて、

それすらもできない。

 

そんなことに気がついた帰り道でした。

 

はじめに

 

自分はひどく卑俗な人間だと思います。

どうしてこのような考え方になってしまったのか、よくわからないので今一度、振り返ってみたいと思います。

ありのままを書きすぎると、傷つけてしまう人がたくさんいると思うので、そこらへんを配慮するとなかなか書き進めることは難しいですが、なんとか出せる部分を見つけていきたいです。

 

かしこ