嫉妬というもの
嫉妬というものがとても好きで、かつとても嫌いである。
とても好き、な前者は、私に向けられるもの。
ぎらぎらしていて、暑苦しくて汗臭くてとても、好みだ。
とても嫌い、な後者は、私が生み出すもの。
これは、汗に似ている。
他人が流す汗は見ていて気持ちいい。
だけれど、自分が流す汗は、自分の色々の結晶(それらはきっと“悪玉なんとか”によって構成されていそう)が毛穴から放出していると考えると、とても恥ずかしい。しかもそれが、他人への反応として、ほぼほぼコントロールできずに滴り落ちてしまっているのが、なんとも惨め。「垂れ流し」、ゾッ!そんなものを目撃されてしまった時には、ああもう完敗、と言う気持ちである。
カッコつけさせてください。
後生ですから。
今後の主導権を握らないで、お願いだから、私をか弱いものとして扱わないで。
本当にか弱くなってしまうので。
散々に弱らせておいて、それでいていなくなってしまわれた日には。
永遠に苦々しさを舐め続けなければならないの。
他人の幸せを願いつつも、どこかにはその度にじんとふやける部分がある。
自分本位で哀れな私を責めないでください。
責めるなら見捨てないで、私が嫌いになるまでは。
自己紹介嫌い
自己紹介が苦手である。
自分の情報を無駄に教えたくない、と思ってしまう。
その情報、つまり記号だけで自分を判断されるのが嫌だから。
でも何よりも恐れているのは、
記号を記号としてみなしてもらえるような、
それを凌駕する中身、そんなものが自分にはないのではと思っているから。
中身がないならば、ないなりに、
あるフリをすればいいのに、
自分に中身がないことを認識することが怖くて、
それすらもできない。
そんなことに気がついた帰り道でした。
はじめに
自分はひどく卑俗な人間だと思います。
どうしてこのような考え方になってしまったのか、よくわからないので今一度、振り返ってみたいと思います。
ありのままを書きすぎると、傷つけてしまう人がたくさんいると思うので、そこらへんを配慮するとなかなか書き進めることは難しいですが、なんとか出せる部分を見つけていきたいです。
かしこ